ヒマラヤ登山中ポーターさんが亡くなってしまい、悲劇に見舞われ, 英語教師の仕事を辞め、ネパールで支援活動を続いてきたOKバジェ、垣見 一雅(かきみ かずまさ)さんを紹介します。
ポーターさんの村民の過酷な生活環境を目の当たりにしていたOKバジェは、1993年に英語教師の仕事退職し、ポーターさんの実家のあるネパールのパルパ郡で草の根ボランティアとして活動を始め、集められた支援金の100%が村に届くようにされてきているそうです。 学校を建設したり、医療援助を提供したりされているOKバジェは、村人たちに建ててくれた小さな家に住んでおり、村人達のお願いを聞いて、英語で [OK, なんとかしてみます]と言わされていた為、子供達から OKバジェというあだ名が付けらたそうです。
困難な10年間以上続いた戦争時期にもかかわらず、長年支援活動をし続いてきているOKバジェさんはネパール国民、特にパルパ地方のネパール人の人々に愛される人物となっています。

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